今日も生きる

いろいろな闘いを描くブログ。ここで発信する内容はあくまで私個人の意見であり、現在所属する会社の公式見解を示すものではありません。

転職して3ヶ月経過しました。

主にロボ界隈の皆さま、ご無沙汰しております。

@fudekunJPです。

随筆を書くために、数年の眠りから"はてなブログ"を叩き起こしております。

表題の通り、2024年1月1日付で転職しました。(今更感あるブログ→理由は後述)

転職先は、ロボットと直接的には関係無いのですが、コンピューティングとかネットワークの深いところを某日系企業の研究部門でやらせて頂けることになりました(よって、やること自体はあまり変わってないとも言えます)

前職での研究

ど真ん中ではない研究

元々、新卒時は、通信とかセキュリティの"システムエンジニア"に分類される職に従事していました。ロボ界隈でもそれに近いところで外部発表とかやらせてもらってました。

これについては、サービスロボットど真ん中な研究開発に従事している方から見ると随分間接的なこと言ってるなーとか思われていた節はあるかもしれません。

(セキュリティ警察は嫌われますからね)

RD??Xについて

前職で開発していた、OSSですが、私が辞めるということで公開停止(削除)となりました。個人的にはリードオンリーリポジトリとして残しておきたい気持ちがあったのですが。偉い人には、リードオンリーの意味が分からなかったようです。一悶着もふた悶着もあり、なぜかほぼ無関係な???部門なども出てきてお祭りになったところで時間切れ、削除と相成りました。。。

なお、特許とか商標に触れない範囲のもの(insiders ブランチ)で公開していたものはなんとか復活させたい。。。。本業との兼ね合いをどう作るかが腕の見せどころですね。

新職場での研究

深くは言えませんが、研究内容の成果は間接的には、サービスロボットでも利用されるというようなところでしょうか。今後、成果を外部発表していけるよう頑張ります。

なお、通勤の電車が都心に向かうのと逆方向なので快適に乗れること、非常に高い価値を感じます。

ロボットと僕

以下はチラ裏。こんなロボット好きも居たなと思って頂ければ幸いです。

ロボットとの出会い

中学生の時、高専オープンキャンパスで3日間、LEGO マインドストームを触ってすっかりロボットの面白さに取り憑かれたのを今でも鮮明に覚えています。これをキッカケに、高専を受験したわけです。

その後、ロボット全然出てこないじゃないか!(3年生のとき、LEGOマインドストームを使った授業、4年生の時にメカトロニクスとかん授業はあった)とか、高専特有のキツさに心も体もすり減らしながら、5年生〜専攻科2年生にかけてロボット系の研究室入りを勝ち取ることが出来たので3年間、ドップリ好きにロボットを触れました。

才能が無い

多少は賢さに自信があったのですが、高専にはリアルに勉強しなくても、授業内容が頭に入ってるやつが3人くらいいた。いや、冗談ではなくマジで教科書をめくって内容を把握して、同級生の僕らにテスト前に講座してくれていた。(本当は、徹底的に予習や復習をしていたかもしれないが)

ロボット系の研究室配属後も同様です。 当時の僕は、天才達に対する劣等感を研究のエネルギーに変える力が無かったので

「さっさと就職して、このレースから降りたい」

という気持ちから、前職の地元システムインテグレーション的会社(SIer)に就職。

ETロボコン

北陸の端っこでシステムエンジニアになったので、もう生涯通してロボットに触れることは無いだろうと思っていました。が!

配属先の新人研修が ETロボコンでした。 ETロボコンLEGO マインドストームを使った障害物競走部門+設計を評価して競い合う部門の二階建てな大会。

2010年当時は、PID制御でライントレースするだけでヒーローになれた。北陸地区はエントリー数は当時は少なかったのでトロフィー的なものまで貰えて、気が引けたが、会社の偉い人にも伝わって結果的にはそれも、2014年以降の活動に対して良かったのだと思う。 卒業研究のほんの一部の成果がこんな形でウケるとは思わなかった。

予定3ヶ月、実績30ヶ月の東京出張

2012年当時、システムインテグレーション的会社(SIer)は、こういう打診をよくしていた。 ※2024年の今、流石にこういうことはやらないと聞くが。。。

ともかく、東京に来た。業務内容は、研究開発部門(私が前職の退職前までお世話になった部門)のメンバーが考えたアルゴリズムや仕組みを、現実に合わせて作り込むといったところ。研究開発部門のメンバーと苦楽を共にする案件であったので、ロボット担当としてに再びカムバックする際、白羽の矢が当たったわけではある。

時に、参画当初、研究開発部門のメンバーが優秀過ぎて、私自身の技術が、必要レベルに全く追いついていない状態だった。併せて、予実が全く合わない出張は、スグに帰るだろうと思い、MacBook Airとちょっとした着替えだけを持って馳せ参じたたため余暇を持て余す状態。

このバックパッカー的環境は、結果的に良かった(当時は辛かったが)

とにかく、勉強した。出張直前に手に入れていたMacBook Airはプログラムをさせてくれるモチベーションをくれたし、他に暇つぶしも無かったからだ。

30ヶ月で北陸に帰るころには、なんでも屋さんとして一定の地位を確立するに至った。

そしてPepperとROS Indigoが来た

2014-16当時、情報技術は熱を帯びていた。深層学習しかり、データサイエンティストなんて言葉もアチアチの中であった。そこに来ての、見出しロボットキラーコンテンツ二つ。日系のシステムインテグレーション企業はどこもかしこも食いついた。 あれはなんだったのか?総括は必要かと思うが、自分が20代後半の遅まきでも、界隈に入るキッカケが出来たことに大いに感謝している。

日系のシステムインテグレーション企業が撤退戦を2018年頃、早々にするなか、前職場は踏ん張った。ロボットハードを直接的に対象としないという戦略は、本業っぽさを出せたのであろう。

また、細く長く研究が続けられたことによって、いろいろな成長があった。箱庭メンバーとの共同開発、日本ロボット学会のペーパー通せたことやROSConJPでの発表など。このような目立った結果は、前職ロボット研究開発プロジェクトを実施していた後半も後半である。この点、改めて感謝しかない。

何か新しいことをやるためには一朝一夕ではどうにもならないので長く場に居ることが大切なのかもしれない(なお、踏みとどまれなかった模様)。

最後に

このエントリー、2024年1月1日に上げようと思っていました。一方で、同日、能登半島で強い地震があり、北陸に帰省していたため公開せずにいました。

地震の時、SNS怖いなーと思ったのもあり本日に至る次第。